結婚どころか人生も恋愛もうまく行かない私があがいてみた日記

マッチングアプリなどで、出会いを探して活動中。都内在住のアラサーが結婚するまでの日記です!日常の忘備録と気持ちの整理。

迷走 結婚したいのかわからなくなってきた

マッチングアプリで男性に会って、色々な話を聞くたびに、結婚がしたいのかどうかわからなくなる。長期的で安定した関係を築きたいのだけれど、私にそれができるのだろうか。短期的で浅い関係は、刺激的で楽しいけれど、どこか疲れてしまう。

 

多くの人に会うと、みんなどこか変で、心の闇を持っている。苦しい経験も、悲しい経験もみんなしていて、それでもそれなりに楽しそうに生きている。欲しいものを手に入れるためにもがいて何かしらを手に入れている。

あなたはとてもきれいなのに

マッチングアプリできれいな男性と会った。その人はとてもきれいなのに病んでいた。誰かに愛されたいけれど、自分は愛せなくて。表面上の愛はたくさん手に入るけれど、物足りなくて。人に与えるほどの愛は心の中になくて、寂しくて、甘えたくて。

 

マッチングアプリでの男女の格差について語る姿は悲しくて。あなたはきれいだから、ちゃんとまともな愛をくれる人がいるはずなのに。女と会うために、服装も、髪型も、仕事も、自分の好きなものではなくて、世間的に受けがいいものに合わせていくなんて。しんどくて悲しい。

 

そのままで十分にきれいなのにね。

結婚への不安

一人で生きていくだけで精一杯なのに、結婚して誰かと生きていくことなんでできるのかな?

仕事で遅くなると家事はしたくないし、お金に余裕もない。何かを育てる時間もないし、養うお金もない。

何より私自身が不完全で、うまく行かないことばかり。

それでも、好きな人の子どもはきっと可愛いし、愛おしいんだろうな。

一人で精一杯なのに、相手もいないのに、いつか手に入れることができるのかな?

週末にしていたこと@婚活?

土曜日の午前、バチェラーデートでマッチングした人とコメダでお茶をする。ハイスペックでとてもいい人。だけど、やっぱり合う前にルックスを確認できないアプリだから、見た目が好みじゃない。ケーキとコーヒーを飲みつつ、楽しくおしゃべり。出身も近くて話しやすい。でも、ときめきが皆無。それでも、その人も色々な恋愛をして、辛い思いもして、それでも、新たに恋愛をしたいと思っている。みんな色んな経験をしているんだなと思った。

 

土曜の夜、tinderでマッチングした人の家に行く。タワマンに住んでいる年下のイケメン。怪しさしかない。いきなりその人の家の前で待ち合わせ、即家。お酒を飲みながら、現実味のない東京の街を見ていた。終電で帰宅。

 

日曜日、tinderでマッチングした年下と韓国料理屋を食べに行く。身長が高い。だが、斜め上45度から撮った写真しか載せていなかったから、正面から見るとかっこよくない。鼻の穴の形が横長すぎる。載せている写真、盛れ過ぎ。正面からの写真を載せていない人は、前から見るとかっこよくないことを知った。食事だけで解散。割り勘だし、関係を持つだけの魅力や好奇心を感じなかった。

帰宅後、遠くに引っ越した仮氏と電話。やっぱり話していてこの人が一番楽しい。近くで、普通に付き合っていたかった。でも、私の扱いが雑だ。いまいち信用もできない。きっぱり別れるよりも、ゆるく繋がって、たまに話せる人として、私と関わっていてほしい。

 

3人にあって、1人と話したけれど、心が満たされない。

とりあえず、バチェラーデートは向いていない気がする。いい人でも、好みのルックスじゃないと恋愛する気にならない。

最近は、自分が何をしたいのか分からず揺らいでる。

寂しさを埋めたい、表面上でもチヤホヤされて自己肯定感を満たしたい。色んな人と、話をしてみたい。退屈を埋めたい。好奇心を満たしたい。

結婚したいようなしたくないような。

とりあえず自立して生きているだけ。

メンヘラにさせる男の特徴

付き合った人をメンヘラにさせてしまう男性がいた。その人はあまりにそうさせてしまうから、自己分析をしてみたようだ。その結果、何を考えているかわからない、何をしているかわからないからそうさせてしまうらしい。付き合った人を不安にさせるのが得意なんだと思う。

ルーヴル美術館展 愛を描く 感想

愛に悩んでいる婚活中のアラサー、愛を見よう。ということで、国立新美術館の「ルーヴル美術館展 愛を知る」に行ってきた。

 

ルーヴル美術館から愛にまつわる絵画が取り寄せられている。古代ローマギリシャ時代、キリスト教、オランダと時代ごとに変遷する愛の絵画が飾ってある。

 

私は古代ローマギリシャの雰囲気が好きだと思った。眼差しのテーマで展示されている一角がある。好きな人を見る眼差しは昔も今も一緒だと思った。寝顔をずっと見てしまう気持ち、わかる。

 

キリスト教のイエスを抱きかかえるマリアの気持ちはまだ実感できない。子供が生まれれば、絵の良さもしみじみとわかるようになるのだろうか。

 

この美術館には1月ごろにアプリでマッチングした人が誘ってくれた。美術館に行くのは一年半ぶりくらいで、きれいなものを見るのはやっぱりいいなと思った。

 

別れてからそろそろ一年。人と会うとき以外は引きこもってばかりいた。これからはもっと出かけて、昔好きだったものを取り戻して、新たなものを取り入れて行きたいと思う。